大先生御講話集

2018年(平成30年)2月18日 ベストグループ関東見聞会

あなた方は、「人間は心次第」ということを聞いたことがありませんか。体には何の力もありません。なぜなら、肉体は食べ物でできたものだからです。この体を動かすのが心なのです。心によって全ての人生が決まっているのです。私は経営を四十六年させて頂いています。その中で成功を経験し、失敗も経験しました。良いことも、良くないことも経験しました。心次第で人生が変わっていくということを、短い人生の中で経験しました。

三十五歳で二つ目の会社を創らせて頂いた時、私には夢と希望がありました。一人から始めた会社でしたが、たった一年で、千名の方々が働いて下さいました。四年目には今のお金で百億円の売上を頂きました。資本金はたった一千万円で、無借金経営をさせて頂きました。見えない存在の御(お)力(ちから)で、訪問販売業ではトップクラスにならせて頂きました。

当時の私は、道徳や命を信じた白い心(浄性(じょうせい))だったのです。売上目標も掲げず、社員さんをとても大事にしました。「皆さんのお陰です。見えない存在のお陰様です」と言っていた時は、見えない力でどんどん会社を大きくして下さいました。しかし、五年目に一千億円の売上目標を掲げ、「俺は偉い」と威張ってしまいました。その時の私は、道徳の大切さを認めていたけれど、欲望に満ちていました(激(げき)性(せい))。良くない目的を掲げると、一年であっという間に人格が変わるのです。

私は七十三年間のうち、三年間しかネガティブな心(鈍性(どんせい))になった経験をしておりません。「俺は偉い、凄い」と思った時から、人格が変わってしまいました。威張る人は、人からも嫌われるでしょう。威張る方は大したことがないのです。自分を認めてほしいから威張るのだと思います。黒い心(鈍性)はネガティブ、否定的、批判的ですから、幸せにならないように創られたのです。黒い心の方は、人間として生まれて幸せというのを感じることができないのです。

林芙(はやしふ)美子(みこ)の詩のように、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という生き方をするのです。鈍性な人は、物の考え方もネガティブ、批判的です。とにかく人の悪いところや欠点が目につくというタイプかも知れません。そういう方の人生は素晴らしいとは言えません。

私は事業家時代に会社が潰れかけた三年間は、命の存在を忘れ、道徳の大切さも忘れ、見えない存在も忘れていました(鈍性)。しかしそういう時でも、お金やこの世の物質を求めませんでした。しかし、なぜ会社が潰れかけていたのかも分かりませんでした。つまり、善悪正邪の判断ができなくなったことを覚えております。

会社のお金が全部無くなっても、ピンと来ないのです。そして、自分の現状も見極めることができないのです。「あなたは何をやっても上手くいかないでしょう。顔に全部出ていますよ」と人から言われても、そのことさえも理解できないのです。これが、運が落ちた方です。黒い心になると、全く自分が分からず、周りが見えないのです。善悪正邪の判断ができないのです。

会社が潰れかけた三年間で、精神的にもう駄目かというところまで追い込まれました。それでも顔は笑顔でした。ある社員さんが「社長、会社を潰しかけたのは社長の責任です。苦しい顔をして会社に来ないで下さい。笑顔でいて下さい」と言った一言で、笑顔をする訓練をしました。

三十五歳からお付き合いをさせて頂いた、ある保険会社の友人から「これでお付き合いを辞めさせて頂きます。社長、一つだけアドバイスをさせて頂きます。あなたの会社で働いている方は、どの会社でも雇わないような方ですよ」と言われました。その時初めて、自分は人を見る目がなくなっていたということに気づきました。どの会社も雇わない人を雇っていたということは、私もそういう人間になっていたということに気づきました。

そして営業マンは全員辞めて頂きました。そして、社長の私自らが鞄を抱えて、また一から始めました。そこまで追い詰められて、私は見えない存在に縋りました。精神的にもう駄目かと追い込まれて、初めて「神様、助けて下さい」とお願いしたのです。その途端に、その日から変化が起こりました。働いて下さる方々が「社長、もう一度頑張りましょう」と言ってくれました。それからは、私の傍に来る方にどんどん素晴らしいことが起こるようになってきました。

苦しい時に見えない存在に縋る方は、僅かです。溺れる者は藁をも掴むのです。私は精神的にもう駄目かというところまで追い込まれた時は、これほどの心境だったということです。見えない存在に本当に縋った途端に、人生が良いほうへ変わってきたのです。そして今度は、見えない存在を本当に求めるようになりました。

二十五年前にある書店から、私について書かれた書物が六万冊出ました。その書物を見た時に、私の愛する偉大なる御(お)方(かた)について四十ページ書かれていました。その御方は、人間に真理をお教えするために、偉大なる存在が直接人間の肉体にお入りになったと言われています。その内容を見た時に「インドへ行きたい」と思い、四十八歳の二月に初めてインドへ行きました。

私の愛する偉大なる御方は待っておられました。「よく来た。会社を潰しかけたのは私だ。お前がもしもこの物質社会で成功していたら、ここに来なかっただろう」と、ある日本人を通して言われました。たった三日間インドに滞在しただけで「私は残された人生を社会や人類のために捧げます」と決意して、日本に帰りました。

明くる年の四十九歳の時の顔を見ると、穏やかな顔になっていました。その時は、偉大なる存在を信じているという、浄性の顔でした。そして、持っていた会社のお金を全部、ベストグループのために喜んで出させて頂きました。「人類や社会のためにお金を使うということは、こんなに素晴らしいことだ」と経験し、「一度しかない人生ならば、社会や人のために役に立てて人生を終えたい」と思う人格にならせて頂きました。

それからインドに毎月、数十名の仲間をお連れするようになりました。四十九歳の一月に数十名をお部屋に呼んで頂き、「このグループは私の特別なグループである」と仰いました。最初は信じられませんでした。「私はあなたのようになりたい」と言うと、「He is.(お前は偉大なる存在になっている)」と仰いました。その時に、「私はそんな者ではありません」と自己否定してしまいました。それからずっと努力をさせて頂いております。

その年の四月に百二十五名をインドへお連れした時に、「お前たちに使命を与える」と仰いました。まず、「世界で最初に命を発見するのは、日本人であろう」と仰いました。私のような者が、それから五年後に命を発見させて下さいました。命が存在するから肉体が生きているのです。命がなくなったら心も体から離れるのです。

二つ目に「人間は体が自分だと思っているから、悩み、苦しんでいる。物質しか信じられない者は、食べ物でできた体が自分と思っている。だから、体を通していつも一喜一憂している。体が自分ではない、命が自分ということを日本に広めなさい」と言われました。体がなければこの世の物を感じることはできません。五感とは、目で見る、耳で聞く、舌で味わう、鼻で嗅ぐ、皮膚で触れることです。つまり、この世の物を五感で感じるために体を頂いたのです。

命の存在は五感で感じることはできません。私は幼少期に育ての母から、命の大切さと人間性の大切さを教えられましたので、ずっと命の存在を信じていました。人間性は目に見えないではないですか。しかし、顔を見れば人間性が分かります。顔を見れば、人間性が善いか善くないかが分かるのです。全部、その人の人格が顔に表れているのです。白い心の方だけが、命の存在を認めることができるのです。

三つ目に「数百年後、世界は混沌としている。その時、世界は言うだろう。日本は精神的にも、物質的にも豊かな国になった。それは日本人が素晴らしいからだ。世界は言うであろう。日本人を学べ。そのような日本人を育てなさい」と仰いました。これは私だけに言われたのではありません。百二十五名の前で言われたのです。心の豊かさが物質の豊かさを生むということをお教えされたのです。

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