大先生御講話集
2018年(平成30年)8月4日 ベストグループ道北道東見聞会
私は一人からこのグループを創らされました。今は全国に広がっています。グループを創るのは簡単ですが、維持して繁栄させるのは大変なことです。それは誰にでもできることではありません。今、人間性が善いとは言えない方が増えてきているように思います。社会や人類の役に立つことをすることを嫌だと言う方が、とても多いと思います。「社会や人類の役に立ちたい」と思っていても、自分の生活が大変なのでしょう。生きることだけで必死になっている方がとても多いと思います。
しかし、二十五年前はまだ違いました。「良いことをなさっていますね。是非ともお手伝いをさせて下さい」と言う方が多かったです。当初この世界に来た時、私は福岡を拠点にして、自社のお金で全国を回って活動させて頂いていました。気がついたら会社のお金が無くなっていた時もありました。それでも、「社会や人類の役に立つことをさせて頂いているのだから、お金が無くてもまた必ず入ってくるだろう」と思いました。そうすると、本当にお金をまた手に入れさせて下さいました。
ベストグループを創らせて頂いて、気がついたら二十五年が経ちました。その間、色々な方が入られ、離れていきました。自分の幸せしか考えない人は離れていくし、「少しは人類や社会のお役に立ちたい」と思っている方は残ります。ここ北海道でも、どれだけ多くの方が入って来られ、離れていったのでしょう。
人間は、自分の利があれば参加するし、利がなければ参加しません。しかし、いずれは自分が亡くなることも知らないで生きている方が、とても多いです。必ず『死』が来るのです。あなた方は、自分が死んだらどうなるのか、興味がないのですか。死を受け入れられないという方が多いと思います。命の存在を知らない方々は、「肉体が命」と思っているのです。
私は命の存在を知っているから、命を否定する方には妥協しません。命があるから生きているのです。北海道の当初の開拓民の方々は、命の存在を知っていた方が多かったのです。しかし今、「肉体が命」と思っている人が増えてきて、「お金が一番」と言う方が多くなってきたのです。そのような中で、ベストグループの方々は、「肉体が命ではない、この肉体を生かしている存在が命である」と分かる方々が増えてきました。そのことが分かった方は、生き生きとしています
「お金やこの世の物質が一番」という方は、見えるもの(物質)しか信じなくなってくるのです。物質に焦点を絞った方は、形あるものが一番と思っているので、その結果、見えない存在を信じなくなってくるのです。では、形あるものが一番と思って頑張った結果、どれだけの物質を手に入れたのですか。
私の幼少期は、育ての母から「命は一・五センチ(当時は五分)の大きさで、白い光で、丸い形をしているんやで」と、命について具体的に教えられました。我々の幼少期は、「命があれば人生は何度でもやり直しがきく。命がなくなったら終わりやで」と教えられました。ですから当時は、「命が一番」と思う方が多かったのです
当時の北海道の開拓民の方々は、生きるために必死でも、命が一番大事だと思っていたのです。「命があれば必ずできる」というのが、北海道の開拓民の方々の素晴らしい力だったのです。しかし人間は、物質に意識が向くと、見えない存在をだんだんと忘れるように創られているのです。
物質的な魅力に負けると命の存在を忘れて、「この世はお金、物質が一番だ」と思うようになるのです。では、そういう方は、お金持ちになっているでしょうか。お金持ちになっても一時的だと思います。事業家時代、私もお金をたくさん手に入れさせて下さいましたが、会社が潰れかけて、貯めた会社のお金を全部、無くしたことを経験しました。
お金持ちでも、人格が立派で社会的にも素晴らしいことをなさっている方ならば、認められると思います。命は永遠の存在ですから、命の存在を認めると、仕事は社会に役に立つ限りは繁栄させて下さるのです。
浄性(じょうせい)とは白い心です。私は白い心をたくさん持って大きくなりました。だから、何をやっても見えない存在(命)と人が支えて下さったのです。事業家時代、三十五歳で二つ目の会社を作らせて頂きました。三十八歳の時には、飛び込み訪問販売業でトップクラスにならせて頂きました。たった四年目で、売上は当時のお金で五十億円を突破させて頂いたのです。
資本金一千万円で、無借金でした。たった四年目で、五千四百名の方が働いて下さいました。命の存在を信じていた方ばかりが働いて下さっていたのです。三十八歳の当時の私の写真を見ると、威厳に満ちて余裕のある顔をしていました。
私は道徳と命の存在を信じていましたので、そんなに悪い顔をしていなかったと思います。姿勢も良く、背筋もピンと伸びています。これが、道徳や命を信じている顔です。お金もたくさん手に入れさせて下さいましたが、「お金持ちになって誇るべきではない。それよりもどれだけ素晴らしい人財をお育てするかが、企業の目的である」と思いました。
当時の親は「社会のため、人のために役に立つ人間になりなさい」という教えをしていたのです。「お金持ちになりなさい」とは、私は一言も教えられていないのです。その結果、私は見えない力で少しは遣り上げさせて下さいました。
それから一年経って(三十九歳)、顔がコロッと変わりました。訪問販売業で世界トップクラスにならせて頂いて、威張り出したのです。それまでは「皆様と見えない存在のお陰様です」と思っていたのですが、「俺は偉い」と言い出したのです。道徳は大切だと思っているけれど、命の存在を忘れて、欲望に満ちた激(げき)性(せい)の心になってしまいました。
その二年後に会社が潰れかけて、失敗者の心(鈍性(どんせい))に落ちてしまいました。人間は欲望が強くなると、見えない存在を忘れるように創られているのです。四十三歳の時の顔の写真を見ると笑顔ですが、内面からパワーがありません。顔は笑っていても愛想笑いをしていました
道徳と命の大切さを忘れて、その日その日を必死になって生きている顔です。貯めた会社のお金も全部無くしました。道徳と命の大切さを忘れた結果、人間に魅力がなくなり、人がついて来なくなりました。そして、「もう駄目か」というところまで落ちて初めて、見えない存在を求めました。そうするとまた、会社を立ち直らせて頂きました
私は一度しかない人生を仕事のために生きようとは思いません。若い時は「仕事を通して社会や人のお役に立ちたい」と思いました。五十四歳で社長を引退して、「残された人生で人類や社会に貢献したい」と、本当に思いました。一度しかない人生でいつまでも朝から晩まで働いても、体が疲れるだけです。
ですから、どこかで仕事を引退して、「人生は一度しかないから、残りの人生を素晴らしいことに使いたい」というのが、高徳者ではありませんか。その高徳者を日本人はとても好むのでしょう。日本人は徳のない人を嫌がるでしょう。徳のない人は見えるものしか信じないのです。高徳者は見えない存在を、まず信じるのです。それが日本人の特性ではなかったのですか。
「無私」というのは、エゴがないことです。自分のためではなく、社会や人のために動くことを「無私」と言います。「エゴ」というのは、自分のため、家族のためだけに動くことです。そういう方が今、多いのです。自分の利でしか動かない方が、社会に出ても成功するでしょうか。人から信頼されるでしょうか。難しいと思います。
では、無私の行為は簡単にできるでしょうか。それには訓練が必要なのです。ベストグループの交流会活動は、無私の行為の訓練の場です。
命につながると全てが解決するのです。どっちみち体は機械と同じように、どこか古びていきます。しかし、命に守られている方と守られていない方とは違うということです。あなた方は命の存在を知らないから守られていないのです。命は凄い存在なのです。